谷川流 『涼宮ハルヒの憂鬱』

 正直、書評であるかは微妙だと思うが、一応書いてみることにしよう。

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)


 あらすじは上記リンク先から確認して下しませ。


 で、いきなりだが。この作品は僕にとっては結構な地雷であった。中盤まではそうでもなかったのだが、ラストの部分で急転直下のびっくりクライマックスを迎え、ぽかーんとお口を開けたまま作品が終わってしまった。ということで、以下は書評と言うより「何故、僕がこの作品を地雷だと認識したのか」という部分に絞って書いてみたいと思う。なお、文章の性質上ネタを割る危険性が非常に高いです。まっさらな状態で小説を読みたい人は読まない方が良いかも。とはいえ、『〜憂鬱』はアニメで全部描かれちゃったから、アニメを見た人なら大丈夫かな。


涼宮ハルヒというキャラクター


 後述するが、この作品は涼宮ハルヒというキャラクターに何らかの形で好感を持っていないと、ラストで大きなダメージを受けてしまう、あるいは怒りに震えてしまうような仕掛けになっている。なので、この作品においては涼宮ハルヒに魅力を与えるということが*1重要になってくる。アニメ版ではハルヒに出会った瞬間、モノクロだった画面(=世界)が、カラーに反転するという手法を使ってキョンにとってハルヒがある種の「特別」であるという描写がなされている。
 ところが、原作ではそういう描写はなされていない。興味を覚えたちょっと変な子ぐらいの印象だ。むしろ、その後の物語の展開を見ていると、キョン朝比奈みくるの方に魅力を感じているように感じられるし、長門有希のことも憎からず思っているように思われる。
 では、読者*2にとって魅力的な人物として描かれているかというと、これはなかなか微妙で他人の胸を使った恐喝でパソコンを得たり、嫉妬から(?)みくるを虐めているようにみえるなど、どうみてもDQNです(ryな感じで、ちょっとげんなりしてしまったりもするが、DQNが主人公のアニメなんぞ世にわんさとあるわけで*3、それをもって一概に魅力がないというつもりはない。ただ、どうにも考え方に違和感を覚えてしまう部分があって、以下の台詞はまさにその部分、ハルヒの思考のコアとなっている考え方を示したものだ。


「(前略)あたしなんてあの球場にいた人混みの中のたった一人でしかなくて、あれだけたくさんに思えた球場の人たちも実は一つかみでしかないんだってね。それまであたしは自分がどこか特別な人間のように思ってた。家族といるのも楽しかったし、なにより自分の通う学校の自分のクラスは世界のどこより面白い人間が集っていると思っていたのよ。でも、そうじゃないんだって、そのとき気付いた。
 あたしが世界で一番楽しいと思っているクラスの出来事も、こんなの日本のどこの学校でもありふれたものでしかないんだ。日本全国のすべての人間から見たら普通の出来事でしかない。そう気付いたとき、あたしは急にあたしの周りの世界が色あせたみたいに感じた。夜、歯を磨いて寝るのも、朝起きて朝ご飯を食べるのも、どこにでもある、みんながみんなやっている普通の日常なんだと思うと、途端に何もかもつまらなくなった。
 そして世の中にこれだけ人がいたら、その中にはちっとも普通じゃなく面白い人生を送ってる人もいるんだ、そうに違いないと思ったの。それが私じゃないのは何故? 小学校を卒業するまであたしはずっとそんなことを考えてた。」


谷川流涼宮ハルヒの憂鬱』P225~P226より ※ 改行は引用者によるものです)

 ハルヒにとって「人生が面白いか、面白くないか」は「自分が特別か、そうじゃないか」ということとほとんど同義であって、その考え方の傲慢さがどうしても僕には引っかかってしまう。しかも、その特別か特別じゃないかは「客観的に自分が判断する」みたいな妙な基準で*4、どうにも共感できないというか、青いこと言うなぁくらいな受け止め方しか出来なくなってしまう*5。そもそも、物事を面白いと感じるか、そうでないと感じるかは自分の心が決めるわけで、そういったこと*6を判断する前に「他人と一緒だから面白くない」とはねつけてしまうのは不幸な考え方だなと思ってしまう。
 春の桜や夏の入道雲、秋の夕焼け空に冬の星空、それらの美しさを「他人も同じものを見ているから」、色あせていると考えてしまうこのヒロインの考え方にはついて行けなかったというのが正直なところだ。
 前述のハルヒの台詞と対照的な考え方を見せるのがARIA水無灯里嬢で、それは以下のような台詞で表される。


「私この世には”嘘もの”は無いって思うんです。
 例えばマンホームから観光で訪れたお客様の中には、結局ここはかつてのヴェネチアの偽物だって言う人もいます。確かに街の作りだけ見れば真似っこかもしれません。でも、アクアとマンホームでは街が出来た過程も、流れた時間も違いますよね。当然、そこで過ごした人も、紡がれた想いも違うと思うんです」


「私には本物か偽物かなんて全然問題じゃないんです。だって、ネオ・ヴェネチアが大好きで、その気持ちを宝物みたいに感じられる私が、今、こうしてここに存在しているんですもの」


ARIA The NATURAL 第11話「その 大切な輝きに…」より ※ 文字起こし引用者)

 偽物、本物を、普通、特別と読み替えると分かりやすいかと思うが、対象が素晴らしいものかそうでないかは「自分が決めるんだよ」という想いがこの言葉からは感じられる。こういったものと比較した場合、涼宮ハルヒ*7僕にとって魅力的なヒロインとは成り得なかった。


・そして、閉鎖空間へ


 僕が涼宮ハルヒというヒロインに対して、またこの作品に対して「えぇ〜」と思ったのはラストの閉鎖空間展開シーンで、ここでハルヒは「気になる男の子(キョン)が別の女の子(みくる)と仲良くしてる。うぅ〜、嫉妬」となったあげく、これまでにない閉鎖空間を展開し始めた。ようは、世界を壊し始めたわけだ。
 ちょっと待て、と。有史以来、「振り向いてくれなきゃ死ぬ〜」といった感じの女性は数多いただろうが、「振り向いてくれなきゃ、世界をぶっ壊す〜」という<メインヒロイン>はおそらくハルヒが初めてで、お仲間を捜すとなると神話をひもとかねばならないだろう。「振り向いてくれなきゃ死ぬ〜」という女性も結構ろくでもないが*8、「世界をぶっ壊す〜」となると、これはろくでもないなんてものじゃない。かのヘラやソクラテスの奥様も裸足で逃げ出すようなすーぱーろくでもないである。
 しかも、不幸なことに*9彼女自身は、この能力をコントロールする術を持たない。つまり「流石に世界を壊すのはやりすぎだわ。別の男をさがしましょ」なんてことにはならないわけだ。かくして、世界の存亡は一人の少年(キョン)にゆだねられ、彼は世界を存続させるため、SOS団の仲間と、友人達と、家族達と再会するために、このすーぱーろくでなしの前に膝を屈する。彼女に唇を与えるのである。そしたら、あら不思議、気がつけばベッドから落ちたところでした、と、あっさりと世界は崩壊の時を免れたのである。


ちょっと待て、と。


 僕が最初に「この作品では涼宮ハルヒというヒロインに好感を持つ必要がある。(あるいはキョンが魅力を感じているよう描写する必要がある)」と書いたのはまさにこの点にある。キョンハルヒに対して好意を持っていると読者が認識できていたのなら、別にキスをしたところでどうでもないわけだ。むしろ、おめでとーといった感じだろう。逆に読者がハルヒに好感を持っていても、好きな人(キョン)にキスしてもらえて、おめでとーといった感じで、これも丸く収まる。
 が、である。僕のような「キョンは多分、みくるに好意を持っていて、長門俺の嫁」といった読者にはこの結末はあまりに酷である。僕の感覚すると、先に書いたように「キョンはみくるの為に、(好きでもない)ハルヒとキスをした」という読みになってしまい、これははなはだ読後感が悪い解釈になってしまう。更に、この解釈で行くと「みくるはハルヒが怒ると困るから、キョンに対する好意を表せないでいる」とかになってしまい、ハルヒに対するフラストレーションがこの上なく高まってしまう。更に僕の場合は「俺の嫁であるところの長門のほのかな恋心を踏みにじりおって」という思いもこれに加算させるため、もはやハルヒに一片の好意すらも持てなくなってしまうのだ。


 でもね、これはハルヒが悪いと言うより物語が(あるいは作者が)悪いと思うのですよ。一つは前述のようにハルヒを魅力的にかけなかったという点があるのだけど、もう一点がハルヒが古典的恋愛ものにおける悪者のような配置になりやすいってことなのですよね。古典的な恋愛ものっていうと、「AとBは相思相愛だけど、金持ちだったり貴族だったりするCが横からちょっかいを出してきて、AはBのことを思って身を引きくとか、Bは(Aに害をなすぞと脅されるなどして)Aを思ってCの元へ行く……だけど、結局はAとBがくっつく」みたいな感じだと思うんです。
 で、この作品の場合はA:みくる、B:キョン、C:ハルヒ*10、みたいな読みが簡単に出来てしまって、それがどうにもラストがすっきりしない要因になってしまってる気がするのですよねー。ハルヒに悪役が似合いすぎるというのもあるけど。


 正直、この『〜憂鬱』を読み終えた時には、京アニが放送順をずらしたのは、ストレートに放送すると『〜憂鬱』のクライマックスを見た視聴者が離れてしまうと考えたからではないかとか考えてしまったりもしました(苦笑)。アニメの方を見てみると、このエピソード以外のハルヒにはさほど嫌悪感というか、「えぇ〜」という思いは抱かなかったので、もしかしたらもう数作品読んでから、シリーズとして評価すべきものだったのかもしれません。


 長くなりましたが、こんなところで。

*1:あるいは「キョン」が魅力を感じている描写をすることが

*2:この場合は僕ね

*3:私の友人は『頭文字D』を「公道でレースしてんじゃねぇよ、このDQNが(意訳)」の一言で切り捨てた

*4:「客観的に」は「相対的に」と言い換えても良いかも。

*5:僕も歳ということか……orz

*6:それが実際に面白いかどうか

*7:少なくとも『〜憂鬱』の段階では

*8:プロトタイプが「行列が出来る法律相談所」で俎上に載せられてた

*9:これはおそらくハルヒにとっても不幸なことに

*10:金とか身分とかではなく「神様パワー」をもってるからねぇ