世界の見え方は人によって違う
視点が違えば見えるものが違うのは当然。
シニフィエだとか、シニフィアンだとか持ち出すまでもなく、個人個人の経験により、「言葉」は別の意味を持ちうる。
「言葉は光であり、光は神」であるという。なれば、その神が造ったこの世界は言葉で出来ていることになる。言葉とは世界そのものなのだ。
であれば、違う「言葉」を使うワタシとアナタが同じ世界を見ているはずがない。そもそも、同じ世界に生きているかも疑わしい。同じ世界に生きているのなら、同じ世界に生きているのなら――
なぜ、笑っていられる? こんなにも薄汚れた世界で
なぜ、希望を持てる? こんなにもくだらない世界で
なぜ、前を向こうとする? こんなにも閉塞し、終わりきったこの世界で
ワカラナイ。ワタシにはワカラナイ。
だから、彼女は彼に問う。
「世界は、どう見えますか?」と