フィンランドの教育に思うこと

 きっかけはこちらのブログ
 
 
 僕個人は「少人数学級にしたらいじめもなくなるし、学力もあがる」とは思わないし、思えない。

 いじめに関していえばクラスに一人の生け贄が、総クラス数が増えることによって増える可能性もある。「先生が指導したら直る」というものでもないのが「いじめ」の面倒な点で、これは現状の日本の教育システムではなくならないものだと思う。つーか、教育システムとか持ち出さなくても、そこここの集団でいじめって起こるでしょ。たとえ大人でも。これは日本がそういう文化だから仕方ないといえば仕方ないと思うのですよ。


 閑話休題


 学力に関していえば、僕は重要なのは学校より家庭だと見ている。「30人学級なら40人学級よりきめ細やかな指導が出来る」のかもしれないが、40対1と30対1でどれほど違うというのかなと。先生が一日八時間仕事をしたとして、それを生徒数40で割ると、一人当たり12分。30人だと一人当たり16分な訳であまり変わらないような気がする。もちろん、こんな単純なものじゃないだろうが、家庭においては1対1、あるいは2対1といった形での教育がしうる*1。これは大きいと思う。
 もし、学級単位の改革をやるとするなら学力別のクラス分けがベターな方向かなと思う。出来る子と出来ない子を同時に教えるのは実は難しいことじゃないかと思うのだ。それならば出来る子と出来ない子でクラスを分ける。出来る子は通常の授業でついて行けるだろうからそのようにして、出来ない子の方にはリソースをつぎ込む感じで、一つの授業を2人の先生が担当するなりすれば良いんじゃないかなと。


 で、本題のフィンランドの教育だが、調べていくうちに一つ面白いなと思ったことがあって、フィンランドでは学校に行かなくても良いらしい。
 

また義務教育は学校へ通学しなければならないことはなく、他の方法でそれと同等の知識と技能を身につれればよいとされている。
http://www.aba.ne.jp/~sugita/160j.htm)リンク先、音が出ますので注意!

 あ、これってid:kagamiさんがおっしゃってた「出席日数制を廃止して、学業検定制にする」に近いな、と思った。
 いじめに解決策があるとしたらそれは「逃げる」ことだと思う。そもそも相手は多数な訳だから戦っても勝てるわけではないし、いじめという「理不尽」なものが「話し合い」といった「理性的な」もので解決するわけがないのである。理が通らないから理不尽なのだ。
 「相手が飽きるのを待つ」というのも一つの解決策かもしれないが、これは正直疲れる。吉川経家並に疲れる。そして、それに耐えられなくなった子供達が死を選んでいく。ならば、最初から逃げてしまえばいいじゃないか。そう、逃げてしまえばいいのだ。ところで……どこへ?


 現在の日本ではこの「どこ」が完備されていないし、逃げることは不名誉なことだとされている。そういった意味では下のkagamiさんの発言に僕は賛同する。

一番大切なのは何より、「学校に行かなくてはならない」という馬鹿げた現行規則を根本的に変更して、
「学校に行かなくても、不利益はなく、教育も受けられる」という社会にすることですね。
子供を無理やり学校に行かせる仕組み自体に、根本的な問題があると私は思います。
ロリコンファル「出席日数制を廃止して、学業検定制にする −小検・中検・高検・大検−」

 どこかの先生が言っていた「被害者が逃げなくちゃいけないのはおかしい。学校を去るべきは加害者だ」という意見は正論だと思うし、加害者を罰するシステムを練り上げていくことも必要だと思う。恐喝は恐喝、暴行は暴行と学校で起きた犯罪であっても法を適用して厳格に裁いていく、そうすることでそれらの凶悪ないじめは減らし得ると思う。ただ、一方で問題なのは「法が届かないいじめ」というのが確実に存在すること。
 「クラス全員でシカト」とか「修学旅行の班決めで誰も入れてあげない」とか、「音楽の発表? 一人でやれよ」とかそういったものはどうしようもなく存在すると思う。そういった形態のいじめでは、加害者を追い出すことは実質不可能で*2、そうなると被害者が逃げるシステムの方が構築は容易だし、柔軟に活用しうると思う。そもそも、こういったシステムの主目的は「いじめ被害者の救済」で「加害者への制裁」ってのは二次的、副次的なものなのだから、まずは被害者という方向性は大本に即したものだと思う。


 ただ、「学校に通わせなくても良い」となると、どうしても「小学校も教材費かかるしー。うちのこ行かせなくてもいっか」みたいな感じに「教育が受けられない」子供が出てくる危険性がある。フィンランドの場合は「義務教育無料」というのがそういった可能性を小さくしているのだろうけど、給食費も払わない親がいるような日本では現状のまま導入したらまず確実に出てくるだろう。そうなると、日本も「義務教育無料」にすればいいじゃないという意見も出てくるだろうが、フィンランドと日本では人口が20倍ほど違う上、ここ数年の日本は「小さい政府」志向だからそういう方向に持って行くのは難しいだろうなぁと。そもそも、小さい国だから可能なんじゃないの? という視点もあるわけだし、フィンランド付加価値税*3は標準22%で食料品・飼料は17%、一番少ない映画、書籍、医薬品、交通機関でも日本より高い8%だぜ(ジェトロ資料より)? という視点もある。


 アメリカなどでは「税金を教育に使うな」というデモも起きているという話が聞いたことがあるし*4少子高齢化社会において「子供の教育のために消費税を15%にします!」とか言ったら「うちら子供いないし」で早々につぶされてしまうそうな気がする。


 何というか、だんだん取り留めがない話になってきてしまっているが、結論としてはフィンランドの教育をそのまま日本のいじめ対策に使うのはちょっと無理そう、という感じだろうか。日本が道州制を導入して「北海道は福祉重視!」、「関東は企業活動重視!」などと各自個性を出しつつ住人を募集、各地域間の税収の格差を中央政府がうまくコントロール……といった旧ユーゴを彷彿とさせるような脊髄反射的な妄想が浮かびましたが、結構面白いかも。適当に言ってるから言えるのですが(苦笑)。


 そういえば、いじめの解決策としてfinalventさんが「複数のコミュニティに所属させること」と述べておられたけど、これも一つの方法かなと思う。*5。これに関しては、最近の子供は「学校の中」でひどく閉じているな*6という印象があるから納得がいく。古くなるが長崎の小六女児事件では学校での人間関係がそのままネットでの人間関係にもなっていたし、身近な例でも「ブログ立ち上げたけどコメントはほとんどクラスの友達」といったものをみたことがある。そんな風になるとやっぱり鬱憤というか、たまっていくものがあるんだろうなと*7
 文科省に「自殺します」と手紙送った子のこともふと思い浮かべて、「セカイ系」という単語がふと脳裏をかすめたりもしたが、これはちょっとうがちすぎかな。


 ますます、取り留めがなくなってしまったが、最後の「複数コミュ」に関して、「将棋」にも何かしら出来ることがあるんじゃないかと思ったりもする*8。将棋*9っての年齢に差がある人でも簡単に結びつけることが出来る道具だと思うのですよね。複数のコミュニティがあったとしても構成員が変わらないのであればいじめは起こるわけです。しかし、将棋、囲碁を例えば地域の公民館などで集まってやるとなれば、子供ではない明らかに異質な構成員が入ってくることになる。そうなると、これは十分「別のコミュニティ」としての役割を果たすことが出来ると思うのです。それに大人と子供の比率が1:40や1:30になることなんてまずないだろうから、いじめも起こりにくいと思うわけです。
 でも、将棋コミュに入るなら将棋を知らなきゃ駄目でしょ? ということになるかもしれないけど、これも大丈夫。今、将棋指すために公民館まで出てくるのはネット対局出来ないお年寄りかネットじゃ飽き足らない将棋オタか、純粋に人と接するのが好きな人だろうから、請えばきちんと教えてくれるだろうし。それに、将棋はいざとなったらはさみ将棋崩し将棋、回し将棋で遊べばいい訳だから。将棋だと駒は800円のプラ駒、盤は布かソフビで500円くらいであるだろうからワンセット1500円。10セットでも15000円。これで最低20人*10は楽しめるわけだから結構良いと思うんだけどねぇ。どっかの自治体さんがやってくれないかなぁ。


 ……そいや、昔、地域の図書館の中に囲碁・将棋コーナーがあったけど、そこの声が図書館の閲覧室にまで響いていたのを思い出した。あれはさすがに別室にしなくちゃいかんよな。

*1:兄弟一緒に教えるにしても、学年が違うだろうから生徒の数は基本的に「1」としていいと思う。双子などは別だけど

*2:シカトしたクラスの他の人全員を学校から追い出せますか?

*3:消費税

*4:まぁ、あの国はいろんなデモがありそうだが

*5:上に書いた大人間のいじめはこういうものでうまく解消されてるんじゃないかなと

*6:あるいは世界が狭いな

*7:mixi八分とかあってるのかもなぁ

*8:ものすごく唐突

*9:あるいは囲碁や麻雀……は子供が覚えるのはまずいか

*10:観戦すればそれ以上