(編)田辺忠幸 『将棋 八大棋戦秘話』

将棋八大棋戦秘話

将棋八大棋戦秘話


 現在将棋界にある七大タイトル(名人・竜王棋聖棋王・王座・王将・王位)と準タイトルの「朝日オープン」、それらの棋戦について各主催紙・フリーの(元)観戦記者がその成立や経緯、現状をまとめたプロの世界に注目する将棋必読の一冊。


 と、紹介したが、実はこの本は必ずしも各棋戦の現状を伝えているとは言えない。というのは、この本が出版されたのは2006年2月18日なのだが、そのちょうど一ヶ月後に朝日新聞社日本将棋連盟に(現在は毎日新聞社が主催している)名人戦を主催したいとの意向を伝え、理事会がこれを受諾、毎日新聞社名人戦の契約を打ちきる旨を通告するという「名人戦問題」が勃発したからだ。全棋士はもちろんのこと、日本中の将棋ファンを巻き込んでの大論争を巻き起こしたこの事件は、朝日と毎日の共催という形で決着がつき、現在は条件面での折衝が行われている状態である。
 その為、それ以前に刊行されたこの本は必ずしも現状を伝えていない。しかし、「名人戦問題以後」タイトル戦を巡る状況は大きく変容するであろうから、「名人戦以前」を総括する本としてのこの本の価値は逆に上がったとも言える。


 内容に関しては先に記したように棋戦設立の経緯やその為に尽力された方々のこと、大山・中原時代のタイトル戦と、やがて訪れそして未だ続く羽生時代の現状などが現場で見てきた観戦記者達の手で記されている。全棋戦中唯一戦前に始まった名人戦の描写は流石に力が入っており、三人の記者が分担で執筆している。終戦後の新聞が全体で2ページという今からは想像も出来ない苦難の時代に棋戦を主催するというその努力、根性には驚かされる*1
 将棋の内容については所々出てくるが、さほど詳しくは記述されていない。鬼手・妙手*2のも紹介されてはいるが、よほどの手でないとそれについての詳しい解説は無い。また、挙げられる局面のほとんどは新○○位誕生の記念局面(投了図)である。これら将棋の部分についても、もう少し詳しく記してくれて良かったと思うが、そうすると量や手間が大分増えただろうから、仕方ないと言えば仕方ないと思う。


 棋士同士のドラマについても軽くではあるが、触れられている。個人的に一番印象に残ったのは王位戦における佐藤棋聖についてのエピソード。初の和服での対局なので勝手が分からず、お手洗いでの作法を対戦相手である谷川王位に教わったというもので、いろんな所でネタにされる人だなと思った(笑)。


 それとは別に気になったというか、ちょっと鼻についたのは読売新聞社観戦記者による竜王戦についての記述。やたらと「棋界最高位」、「序列一意」、「最高のタイトル戦」と自社タイトルについての礼賛が見受けられて、ちょっと辟易した。その最たるものは谷川竜王が羽生二冠からタイトルを奪われた際の記述で

 谷川にとっては痛い敗戦だったろう。結婚早々の新妻には良いところを見せたかったに違いない。竜王を保持しているかいないかでは収入も大幅に違う。棋界トップの竜王を失い三冠から二冠に減った。(中略)竜王保持者は免状への署名も出来る。棋界第一人者の地位は明らかに入れ替わった。(P218)

 などと書かれたら、谷川九段としては「大きなお世話」といった感じでは無かろうか。このようにどことなく品のなさのようなものが感じられて、この部分の記述だけは引いてしまったりもした。


 以上の点はあるが、巻末には2006年初頭までの各タイトルの歴代保持者と挑戦者、その番勝負などの結果も載せてあるなど、資料としての価値はなかなかに高い。また、各棋戦の変遷を見ると、これまでの将棋界がどのように変化してきたか、そしてどのように変化していくべきかなどを考える上で非常に有用になる点が散見される。そういった意味でも、今年の「名人戦問題」でタイトル戦のあり方などに興味を持った方には是非読んでいただきたいと思う一冊である。

*1:因みに将棋連盟はその時期に「前年の三倍の契約金+新会館建設のための寄付金」というもの凄い提案をし、このことが原因で毎日新聞社と交渉が決裂。名人戦朝日新聞に移ることになる。このことは今年の名人戦問題でも「毎日派」から糾弾されていた

*2:名人戦における中原▲5七銀など