『先崎学の浮いたり沈んだり』

先崎学の浮いたり沈んだり (文春文庫)

先崎学の浮いたり沈んだり (文春文庫)

 プロの将棋指しで現在、一番有名なのは羽生四冠だろう。前人未踏の七冠達成を初めとして、その実績は現役棋士の中では群を抜いている。現在も朝日オープンに名人戦とタイトル、準タイトルでそれぞれ、挑戦・防衛を行っているという日本で最も多忙な棋士だ。
 しかし、プロ棋士は何も羽生四冠一人ではない。見回せば数多の個性豊かな棋士がいる。故人で言えば、新手一生、いくつもの新定跡を作った鬼才、升田幸三。升田と一時代を作り、生涯A級を貫いた大名人、大山康晴
 現在も棋士として、あるいは理事として活躍している方から挙げると、14歳でプロ入り、早指しを得意とし、「神武以来の大天才」と謳われた加藤一二三。中年を過ぎてから初めて名人になり、混戦を得意としたことから「泥沼流」と呼ばれる※こと米長邦雄ワイドショーで不倫相手への留守電を公開されちまった凸・突撃こと名人を大山から奪い、棋界の太陽と呼ばれた「自然流」こと中原誠
 そういった、棋士の系譜に名をつられるのが我らが「元天才」先崎学八段だ。
 
 かつて将棋のカメラマンに「(アマチュアの)初段から三段まで実力が上がるのにどれくらいかかりました?」と聞かれて「3時間はかかったと思います」と答えたことからも、その「元天才」ぶりは際だっていると思われる。
 その「元天才」が自らの生活についておもしろおかしく書いたのがこの本だ。将棋指しの副業だろう、と侮る事なかれ中学生にして「資本論」やら何やらを読んでいたという「自称活字中毒」の筆者が書く文章は、軽妙にして洒脱。思わずクスリと笑ってしまうような、そんなエッセイに満ちているのである。

 上で挙げた棋士達は皆、偉大な成績を残した名人達だ。その「名人達」しか、知らない故に、一般の人のプロ棋士への認識は、「真面目」や「堅い」といった一面的なものになりやすい。「名人」は棋士を代表するものだから、その行いが慎重なもの、真面目なものになるのは当然だ。
 しかし、筆者は棋士という職業を「うさんくさいもの」と一刀両断にしてしまう。そして、仲の良い同僚についても、ちゃかしたり、意外な面を挙げたりと「堅い」というイメージを崩して、「棋士も普通の人間なんだなぁ」と、そういった当然のことを認識させてくれる。

 しかし、「人間」であっても、例えそれが盤上のものであるとしても、彼らは「勝負の世界」に生きる人間だ。そこに生きる人間の悲哀や歓喜、それらもまた、筆者は記す。それが、前述の「ちゃかし」と相まって、文章に巧く緩急をつけて、読者の目を離さない。

 実はシマソーファンだったりする先崎八段のこの本は、エッセイとして、また、棋界に触れてみる入門的な一冊として、最適な本だと思う。