感想と批評

 脊髄反射で思いついた文章なので簡単に。
 槍沢さんのところで紹介された文章を読んだのだけど、何か話が噛み合ってないような気がして、何でかなぁと考えた結論が「感想と批評は違うんじゃないかな」というものだった。


 もしかしたら僕だけがそうなのかもしれないし、それはそれで恥ずかしいことだけど、「批評は難しいものだ」って印象が僕にはある。それはいつぞや殊能先生が「「批評家は頭が良くないと出来ない」って柄谷行人が書いてた」みたいなことを書いてあったのを読んだから、というのもあるが、ようは「歴史や変遷、ビッグネームが後世に与えた影響と個々の作品におけるそのことの具体的発露」みたいな「批評」なんて俺に書けるわけないぜなどと思うからだ。


 でも、感想なら僕にも言える。小説を読んだり、あるいは音楽を聴いたり、お笑いを見たりして、それに対する快・不快を言葉にすることは出来る。もちろん、ジャンルによっては理由も上手く言えず「何か合わないから駄目」みたいなことしか言えないこともあるかもしれない。それでも、それだけ言えれば十分、感想になりうる。
 発端となったエントリにおける女の子の一言ってのはこの「感想」だったんじゃないかなと思う。


 じゃあ「感想」と「批評」ってどう違うのよと言われたら、それはその言説における客観性と主観性の割合じゃないのかなと。主観性が強いのが感想。だから、感想を読むときには括弧書きで(僕自身は)、あるいは(私自身は)などを補って読む必要がある。逆に、批評は客観性を強めようとした言説だろうと考える。だからこそ前述のように理論武装が必要になってくるのだと思う。
 もちろん、僕は両者の中間のような文章も存在すると思うし、僕自身が書く書評はそういった文章になればいいなと思って書いている……というのは蛇足ですか。


 だから、「何故、簡単に批評をするのか」という問題提起(?)は根本から間違ってると思う。感想なんだから簡単に断言しても良いのではないかと。「このたこ焼き美味しい!」って言うのを「勝手に断言してんじゃねぇ!」と怒られたら困るしね。それに「アレつまんないよね」を批評って言ったらプロの批評家さん達が泣いちゃうよ?


 ただ、一方で「何故、面白いのか考える人が少なくなってる気がする」という問題提起は面白いなと思った。その辺りも各種エンタメの際限なき垂れ流しという現状がなせるものだととりあえずの仮説を立てることは出来るのだろうけど。