読書会の楽しみ

 私が入ってるサークルでは週一のペースで各自の作品についての読書会が行われる。メンバーは性別も年齢も学部も様々で、作風自体もまるで違うから読み方にも自ずと差が出来てくる。例えば、僕なんかはミステリばかり読んでいたものだから、物語の整合性やオチのある作品の場合はその伏線の張り方にどうしても目がいってしまう。その反面、登場人物の心理や人格、あるいは文章表現などに関してはどうしても皮相的な読み方しか出来ず、読書会に参加するたびに己の不明を知らされる日々である。


 で、この読書会だが、やはり楽しい。先日、同学年の方の作品が俎上にあがったのだが、僕はその作品をその作品が掲載された号の中では最高クラスの傑作だと考えていた。もし、部誌がネットに掲載していたら、間違いなくここで取り上げてお勧めしただろう、というくらい素晴らしかった。短い中できっちりと物語を描き、ある種のギミックとストーリーが見事に噛み合わさったさっと読める短編としてはある意味理想的な出来だった。
 大まかに筋を説明すると、主人公(マサキ)には姉がいて、その姉には医学部に通う恋人がいる。主人公には盗癖があったが、ある日、姉の恋人の財布を物色しているところを見つかってしまい……というものだ。


 この読書会で面白かったのは「この主人公は男か、女か」という問題提起がいきなりされたところだった。これにはガツンと頭を殴られたような、そんなショックを覚えた。なるほど、「マサキ」という名前なら確かに女性の可能性もあろう。そして、女性と解釈することで物語の見え方は全く変わってくる。これには参った。自分の発言する順番はこの問題提起がなされた後だったので、それまでに考えをまとめ直さないといけない、そのスリリングな感覚もまた楽しいのだが。


 僕の読み方は結構ステロタイプなものだった。作中において、主人公は姉の恋人にとある精神疾患の名前を出される。「盗みをしたりするお前はこれじゃないのか」という示唆でもあるのだろう。僕はその部分はこの作品において唯一の瑕疵であり、それでありながらまた、仕方なく存在したものなのだろうと思う。
 僕の読み方は古典的なエディプス的解釈だった。「主人公はシスコンの弟。姉の恋人との関係ではエディプスの息子みたいな感じ」という読み方で、姉弟の両親が物語にほとんど登場しないこともこの読み方を支えるものと思っていた。現状では「父親」としての貫禄が存在しない「恋人」に権威を与えるためのもの……それが「精神疾患の示唆」であり、医学的知識という権威を利用し、相手を精神的疾患を持つもの、自らをそれを治療するもの(の卵)とすることで歴然たる上下関係が生じるようにする……それがそのシーンの意味だと思っていた。
 しかし、これは一方で諸刃の剣でもある。大抵の場合、ちょっと診ただけで「これは○○っぽいね」とか言うのは専門職系の学問を修める人間――それも学びはじめの人間――にありがちな行為で、僕なんかもすぐ「あぁ、それは瑕疵担保責任だね」とか「そいつぁ心裡留保だ」とか言ってしまうのだけど、これは実際的にはかなり「幼い」行為である。


 権威を与えるための行為が、実際には幼さをも同時に露呈してしまう。そのことによって、提示されようとしていたエディプス的関係にほころびが生じてしまう……というのがその作品の唯一の瑕疵だと思う……みたいなことを言ったらちょっと褒められて嬉しかった*1


 あー、えー、結局何が言いたかったのかというと、褒められて嬉しかったですよまる、ってことです(爆)。

*1:「自分が言いたくてうまく言えなかったことがまさにこれなんですよ。うまく言葉にしてくれてありがとうございます」って下級生の子に感激されてしまった