政治文化論という授業

 政治文化論とは金曜と火曜に僕が受けている授業なのだが、これが意外にも面白い。「意外にも」といったのは、どうにも授業名にうさんくさいというか、本筋ではないというか、そんな感じを受けてしまったからで、というのも僕が中高生だったころは私大に「〜文化学部」だとか「文化〜学部」だとかが乱立していた時期であり*1、「文化」ってついてたらナウいんだぜみたいな空気があって、それ以来、名前に「文化」とついた学問は眉につばをつけてヲチらなくてはいけないと思っているからである*2
 そもそも「文化」なんて言葉は解釈が多様なものであり、学問として系統立てるのは難しいものに思われるし、頭につくのが「国際」だとか「民族」だとかならまだ分かるが「政治」である。「政治文化」と言われても何のことやらと全く見当がつかなかったわけで、これでは怪しいと思うのも無理もないことだろう。


 最初のガイダンスで教授が「政治文化論」という学問の政治学の中での位置づけについて語ったときはやっぱりね、という気がしたものだ。教授は大体、以下のようなことを仰った。


 政治文化論は、政治過程論の中でも新しい学問の一つとして位置づけられるものです。それで、その政治過程論というのは政治学という学問の中では比較的新しいものでして、言うなれば政治文化論は政治学全体から見たら端っこみたいなものです。

 
 で、どれくらい端っこかと言いますと、数年前まで法学部の教授紹介の冊子はあいうえお順ではなく、例えば民法憲法といった法学部の中心的な位置にある学問を研究されてる先生から順に紹介されていたのですが、私は教授になってからずっと一番最後でした


 まぁ、それくらい端っこということです。

 ところがところがである、その「端っこ」の授業が意外なほど面白い。端っこ、端っこ言ってるけど、実際は何を学んでいるかというと、現代日本の「政治態度・投票行動」についてであって、ようは人々は選挙にあたってどのような要因で自らの票の投じ方を決めるか、ということだ。


 これの何が面白いかというと、これまでに起こってきた現実の政治の動きとそれを説明するために組み上げられた理論の符号の仕方が面白い、という一点につきるだろう。
 これはある意味、本格ミステリ的な面白さで、ようはこの授業で説明される、現実の政治に対するハウダニットワイダニットに対する答えとしての理論の「なるほど感」が非常に強いため面白いと思えるのだろう。


 もちろん、似たような「なるほど感」は他の学問でも得られるものであろうが、ことこの授業の場合は現実の政治という、自分の身近で起こっている、あるいは起こっていたことについてのものであるため、より楽しめるのだと思う。


 実は明日も授業があるのだが、火曜日の授業は休講で、代わりに町村前外相と山崎正和氏を迎えての講演会があるそうで、後半は瀧澤前学長と五百旗頭教授*3を加えてのシンポジウムもあるそうなので、是非聴きに行かねばと思っている。

*1:今で言う「情報」・「福祉」・「国際」ですか

*2:国際文化学部の人スマン

*3:だったと思う