『陽気な容疑者たち』読了

 初の天藤作品でしたが、天藤さんってユーモアミステリを得意とされていたんですねー。無知な私はそうとは知らず、横溝とかそういったどろどろした感じのミステリとばかり思ってました(汗。他界された国内作家の作品に対して、そういった感じのかなぁといらぬ苦手意識を持ってしまうのは反省しなきゃですね。


 翻ってこの作品。前述したようにユーモアミステリでさくさく読み進めることが出来ます。謎自体は割と大がかりで、「ある山村でのこと、表は南京錠に数字錠、金属製かんぬきの三段重ねの防壁で、警察ですら開けるのに数時間を要した鉄壁の入り口、裏はフェンスに逆茂木、それに地上数メートルの窓と、とても進入できるとは思えないトーチカとまでいわれている蔵の中で一人の男が心臓発作で死んでいた。果たしてこれは事故か、殺人か。殺人だとしたら犯人はどうやって蔵に侵入したのか」というもの。
 被害者の男がなかなかに非道で、それ故恨みは大量に買っている。その為、男が蔵の中から出てこない、もしかして何かあったんじゃないか、ということになっても村の住人はもちろんのこと、家族までもがどこか飄々としている。警察が呼ばれ、事件が発覚しても、容疑者とみられる人物たちは酒を飲むやら馬鹿話をするやらでどうにも真剣みが無く、とても陽気なのである。だからこそ、タイトルが『陽気な容疑者たち』になるわけだが。


 結論から言うと、トリック自体はあまり好きなタイプではない。僕個人は簡単なトリックで複雑な謎を作り出すタイプの密室トリックが好みなので、複雑なトリックで複雑な謎を作り出すタイプのトリックに関してはどうにも評価が辛くなってしまう。この作品もどちらかというとひどく込み入ったトリックで、その上、かなり重大な欠陥があるように思われるのであまり評価は出来ない。
 だが、「誰が殺したのか」という点でのギミックは非常に印象的だった。犯人が発覚するシーンはある人によっては喜劇だろうし、またある人にとっては悲劇だろう。そのシーンと、語り手でありこの物語の名バイプレーヤーである「僕」が訪れた一年後の村の様子、そしてそのときの彼の心意気に思わずジーンと来てしまった。


 と、まぁ敬体、常体ごちゃまぜのめちゃくちゃな感想ですが、ようはお勧めだから是非読んでみてください、ということで。