拡散と収束

 you-さんの4月18日分のエントリを、ふむふむと読んでいたのだが、途中までの流れには同意できるのだけど、最終的な結論に関して言えば、僕は頷くことが出来ない。
 もちろん、拡散していき、結果として消滅していくグループもあるだろうけど、それとは逆にコアのコアまで収束し、それこそ一般の人からは見えなくなるようなグループも逆に生まれてくると思う。
 大衆化することによって、元あった言語の意味が変化する(広がる)ことはあるだろうけど、それを良しとしないグループは必ず存在するだろうから。
 「萌え」に関しても、森永卓郎氏が提唱する「萌え」に首をかしげるオタク達は少なくないし、「ヨン様ファンのおばさん達は、ヨン様に萌えてるんですよ(森永氏)」と言われて、「ええーっ」と思うパンピーも少なくないだろうと思う。
 それはミステリにも言えて、「西尾維新本格ミステリだ」とか、そういった意見には「うーん」と渋い顔をするコアな本格ファンも少なくないだろう。赤色の人類最強だとか、何だとかが出てくる、はちゃめちゃストーリーは、古典ミステリの様式美(島田氏が挙げた新本格のコードなど)からは、ずれており、それ故に、「あんなのミステリじゃない」と、そう言われる向きもあるだろう。

 このようなことを考えるに、言語の大衆化の最終的な結末はyou-さんの仰った「拡散」ともう一つ、それに対するフィードバックとも言える「収束」の二つになるだろう、と僕は結論づける。
 「拡散」では無くなってしまうと、you-さんは結論づけた。では、収束ではどうだろうか。これに関しては、かつてSFが派手な論議を繰り返して、云々という話があったはずだが、僕は詳しくないので詳細を述べることが出来ないのが残念だ*1
 だが、現在のSFの情勢を鑑みるに、「収束」の結果もあまり良いものではないような気がする。それが少し、不安といえば不安である。

*1:確か、アキトさんが詳しかったはず。多分