オタクは何故、「キモい」のか

9ヶ月ほど前、書かれたnarkoさんのエントリーを読んだのだけど、これには「なるほど」と納得した。


 「モテることは偉いこと=「恋愛至上主義」」な「社会」の中、皆が「モテよう」と散々お金を掛けて「努力」している横で、「そんなんめんどーやわ」と努力を放棄し、別の方向へ進んだオタク。

 これを別の図式で表すと、「学歴至上主義」な「進学塾*1」で、皆が「偏差値を上げよう」と夜も徹して努力してる横で「そんなんめんどーやわ」と小説を書いているA君。

 このA君を見たとき、同じ塾の生徒は「なんで、塾に来てるの?」と思うに違いない。それはそうだろう。塾は「学力をつける=偏差値を上げる」場所であり、その目的をもたないA君にはこの場所にいる理由が無いからだ。「なんでかな?」という疑問だけで済んでいるうちは良いが、やがて彼らはA君に腹立たしさを覚えるのではないか。真面目な人であれば、あるほど*2。そうなると、出てくる言葉はおそらく一つだ。彼らは遠からずA君に言うだろう、「塾から出て行け」と。


 これが塾なら「やめる」ことが出来るが「社会」となると「やめる」ことは出来ない。人は社会無しでは生きていけない。であれば、「社会をやめろ」と言ったところで、言われた対象(=オタク)が社会をやめるわけがないのだ。だから、「やめろ」とは言えない。しかし、排斥の念はある。そこで出てくる言葉が「キモい」なのだろう。「キモい」、「気持ち悪い」という言葉は言う対象が自分と「違うもの」だからこそ言える言葉だ。故に、「キモい」と言った(思った)人間はそのことによって、その(キモいとした)対象を「自分たちの側」から排斥するのだ。


 さて、ここでもう一度、A君の例について考えてみよう。何故、他の塾生はA君に向かって「塾を辞めろ」というのか、何故、パンピーはオタクを排斥しようとするのか。


 それは一言で言うと、A君(オタク)の存在を容認することがアイデンティティクライシスに繋がるからだ。「モテることが偉い」と信じて、あるいは「偏差値が高いことこそ良いことだ」ということを信じて、それまで努力を続けてきた人間が、自らとは正反対に思える人間*3を容認してしまったら、それは「今の自分の否定」になってしまい、「今までの努力の否定」になってしまう*4

 人は何かを信じずにはいられないし、信じたらそこで思考停止してしまう。思考停止の状態は楽だ。考えずに、ただ信じていればいいのだから。ドライブに行くときでも、ナビゲーターの指示に従って運転するのと、自分で考えて運転するのとでは気楽さが違う。登山などだと、考える要素が増えるので、なおのこと違ってくる。これが、登山より考える要素が更に多い「価値観」の問題となると、思考停止はこの上なく楽で、心地よくすらある。
 その心地よさを粉々にしてしまうのがオタクやA君のような存在で、彼らの存在は「恋愛至上主義社会」あるいは「進学塾」の存在すら危うくしてしまう。だからこそ、彼らは排斥されるのだ。


 もちろん、オタク全部が排斥されるわけではない。人生是オタク道、みたいな人間はほとんどいないわけだし、オタクの中にも「恋愛って良いよなぁ」と思ってる人間はおそらくいる。そして、彼らは一度、排斥された場所にまた戻りうる可能性もある。ただ、オタク内ヒエラルキーでもおそらくは下位にいるであろうエロゲ・ギャルゲオタクは2次元キャラに身体性を持たせちゃってる*5だけ、より「キモい度(排斥され度)」がキツく、その分社会復帰は難しいかもなぁ、とか自戒を込めつつ思ってみたり。


 えーと、ここまで長々と考察してきましたが、最後に述べたいことは「恋愛至上主義」もまた、一つのイデオロギーにしか過ぎないこと。そういった意味では「私らは『痕』が好きだー」と言っているのと何ら変わりはない。「モテる人は偉い」ってのも「俺たちゃ『痕』が好きだから、『痕』グッズたくさん集めてるヤツは尊敬するなぁ」くらいのもんでしかない。


 そして、そのイデオロギーはオタクなどの存在によりやや揺らぎ始めている。去年の流行語大賞に「負け犬」がノミネートされたのも、いわゆる「勝ち組」の方々が、「恋愛より仕事だったのかしら」的に不安になりつつあったところで、「恋愛はいいもんだぞー。しないヤツは駄目なヤツだぞー」というメッセージを送りつつ、しない人間を「負け組」と貶める(排斥する)のにちょうど使いやすかったからヒットしたのではないかと推測しうるし、それも、あながちはずれではないように思える。

 だから、そう、皆に言いたい。ファッションとか面倒だと思っても良いんだ。恋愛とかする気分じゃない、それも良い。モテる? そんなことは召使いに任せておけ。だから、そうだよ、みんな、みんな、バレンタインデーに一つもチョコをもらえなくったって気にしなくて良いんだっ!

 ………………………やっぱ、僕だけっすかねぇ。 orz

*1:「社会」に対応させる形で「進学塾」を提示したが、これには「塾は積極的に偏差値を上げさせる場所であり、その意味に置いて前出の「社会」とは違う」という反論もあるかもしれない。しかし、「社会」を見回せば分かるように、ファッション雑誌やトレンディドラマ、あるいはバラエティ番組など「恋愛力」を向上させるテキストは揃っている。「生徒がテキスト・授業から学び、それにより偏差値(恋愛力)を上げるといった意味においては「社会」と「進学塾」の対比はそれほど的はずれなものではないように思われる

*2:ここを「恋愛至上主義」の方に当てはめると、やはり「女の子の方が「恋愛すること」に対して真剣」で、それ故にこそ「キモい・キモい」の大合唱をする、という見方はあながちはずれではない気がする。

*3:正反対というよりも価値観の軸が違うという言い方の方が正しいかもしれない

*4:と、真面目な人ほど思っちゃう

*5:持たせな、「実用」出来ないしねぇ